未来は希望に満ち溢れているものだと思っていたけど、現実は以外とバカげている【雑記】
皆さん、こんにちは。
授業参観がありまして、即休みをとって帰ってきました。こーじです。
教員の年休の消化率は最悪です。平日は、自分のクラスの授業があるために、そんな簡単に休めませんからね。子供が帰った後、さっさと帰るのが一番です。てか、なんでみんなあんなに残っていたんだろう。不思議で仕方がない。
いま、パソコンのyoutubeで昔聞いていた音楽を聴いています。それは、キンキキッズの歌です。僕の中高の時代は、キンキキッズが主演のドラマであったり、歌が思い出になっています。家なき子であったり、青の時代であったり。聞くだけで学生時代の記憶が容易によみがえってきます。深田恭子や堂本剛のドラマは、僕の青春そのものでありました。将来、僕もこんな甘酸っぱい恋愛をいつしかするのかなと勝手な妄想を立てながら日々過ごしていました。
学生時代、僕は将来に対して希望をもちすぎていたと思っています。将来、僕はなんにだってなれる、何でもかなえられると思っていました。そのときの瞬間瞬間というのはずっと続いていくのだと思っていました。しかし、時間は簡単に過ぎ去り、いつしか僕の胸には違う精神が生まれてきました。
人間できることは限られている、時間はとても有限であるということ。
これをいつしか痛切に痛感したのです。おそらく、自分の母親を亡くした時からこれはずっと思っていました。まさか10代で母親を亡くすということを予想してなかった僕には、たとえ肉親であろうといつか亡くなってしまうというのをこれでもかと感じさせられたのです。
そんな中でもテレビドラマはそこにありました。空虚な僕の心とは反して、いつも希望に満ち溢れ、甘酸っぱいメロドラマをいつも映し出していたのです。そういう非現実な媒体とは知りながらも、皮肉にも僕の心の隙間をほんの数ミリ程度埋めていったのはいうまでもありません。そういう僕の青春時代のもろい隙間という隙間を埋めてくれたキンキキッズやほかのアーティストの曲を聴きながらセンチメンタルな思いを抱いているのであります。
大学進学、アメリカ留学、就職という流れによって、僕は数の多くの人間関係を持っては、それらをほぼ捨ててきました。しかも、あまりにも無自覚に冷酷に。おそらく、僕はあまり損得とかそういうのは考えておらず、去るものは追わない主義であり、なんでみんな去っていったのだろうと今では思うのであります。後々振り返ってみると、何があっても、僕を見捨てず、連絡を取り続けてくれた友人がほんの2~3名いました。僕は、この人たちのことがとても大切な存在であり、今後も連絡を取り合っていくことでしょう。このかけがえのない友人は、明るいときも寒しい時も僕の心を癒してくれた大切な存在です。
これらの軌跡を振り返ってみると、いまの僕がここにいるのはとても奇跡的なことであるなと感じるのであります。いまの嫁さんとあったのも、本当に偶然でありますし、人生というのは行く先々、僕が選択した軌跡が積み重なり、後々振り返ってみるとそれらは本当に奇跡といえるなとしみじみ思うのであります。この先、僕はどんな人生を歩んでいくのだろう。10年前の僕は、まさか10年後の自分が結婚をし、教師をしているなんて想像もしていませんでした。10年前の僕は、今現在の自分が思っていることや感じていることをまるで想像できなかったことでしょう。昔は、未来はとても輝いていて、希望に満ち溢れているものだと思っていましたが、現実は以外とばかげていることが沢山あるんだなと感じています。
ぼくはこれ以上自分の未来がばかげているものばっかりだということを感じたくないです。もうこれ以上ため息をついたり、絶望を味わったりしたくないのです。
ただ、未来は待ってくれません。どんどん今の僕にあらゆる現実を見せつけてきます。これまで、僕はいかにかっこよくそして魅力的に生きていく術なるものをこのブログで書いてきました。それはただ、悲壮感あふれる未来に立ち向かっていく悪あがきなんじゃないかなと思い始めています。そういう術をもって進まないと僕の心は簡単に壊れる何じゃないか、壊れたら立ち上がることは不可能なんじゃないかと思っているのです。
今一度あのときの思いに立ち戻りたい。キンキキッズを聞きながら僕の心を癒し未来に希望をもっていたあの湧き上がる思いを。