自分は飽きっぽいから教師になったと思う話

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引っ越しをして通勤時間が長くなりました。写真は福井旅行で撮った写真です。最近は通勤中にスマホで作業をする時間が増えてきました。よってはてなブログに戻ってきた感じがしております。やっぱ文字をうつっていいですね。思考はやっぱ文字によって形成されますからね。逆に文字を使わないと正確に考えを表現することが出来ない。


ボクはどこにでもいる学校の先生です。そう、どこにでもいる先生のうちの一人。みんなから税金から給料をもらっており、目の前の子供と日々関わり合いながら慌ただしい日々を送っている。なのでブログで書くことなんて狭い見識の中でつぶやくことに過ぎずゴクゴクふつーのつまらない内容が多い。そんな中でも読んでくれる方々が一定数いることに驚きを隠せないし、ありがとうって言いたいです。

さて学校で働いていると色々な子供がいます。文章を書くことが苦手な子、話を聞くのが苦手な子、背の高い子、かけっこがとてつもなく速い子、トラブルを起こしてしまいがちでいっつも怒鳴られる子、自分の顔色を伺いつつ牽制してくる子、マシンガントークで昨日の夜家で起きたことを話す子。

そういう子供達と日々過ごす時間はとても濃密であり、当たり前のようになっていて、一瞬で8:00から17:00になるぐらい時間が過ぎていく。とりあえず飽きない。休み時間は最近増え鬼ばっかしている。とりあえず脚が速いボクが鬼で笑、子供をひたすら追いかける。息が切れるまでひたすら追いかけ背中をなんとかタッチをする。子供はやられたー、ずるーいなんて言う。大概数分後にはゼーゼーって地面を見つめていますが、そんな中でも汗をたらして「先生、先生!」と叫んでくれる子供達。ああ、今この瞬間自分は生きているなあ、楽しいなあと実感しています。自分は今ここで必要とされてるんだなあって感じるのです。嬉しいことも、悲しいこともぐちゃぐちゃとなって目の前を一瞬で過ぎ去っていきます。

最近、生まれつきの飽き性である自分にとってこんなに飽きない場所はないなあって思うのですよ。毎年変わる子供達を見て、色んな顔の、色んな声の、色んな性格をしている子供達一人一人のことを考え、時に喜び、時に怒りそして悲しむ。。
授業もどうやったらあの子があのおとなしい子が手を上げてくれるかなあって考え続けている。どんな問いかけをしてみようか、どんな写真や画像を用意してみようか、どういう流れで授業を進めようか。どうやったら子供は笑顔で喜ぶか、どうやったら子供が力いっぱいやり通せるか、どうやったら・・!思考は永遠に続いていく。それはベストではなくベターなもの。常に改良改良!
っと、こういう日々というにはやっぱり自分が求めていたものなのかもしれないなあって思うんです。

今教員になりたい人が少なくなってきてます。そりゃそうです。子供と向き合っている時間以外のことを考えたら憂鬱なことが多すぎます。定時で終わらない仕事量、モンスターペアレントの存在、教員同士の人間関係。本当にまあこんな職業やりたくないなって思うことがたくさんあるわけです。

ボク最近思うんです。教員は大人同士の人間関係で心が病むことが多いんじゃないかって。少なくともボクは毎回同僚のことで悩まされることが多かった。先輩教員が後輩をいじめる、陰口を叩くなんてざらにありますからね。もちろんボクが標的になることもありました。いじめはダメだって子供に言っている先生がいじめを平然としてるんですもん。笑えますよね。まあ、そんな先生なんて軽蔑しますし、ガン無視です。ボクはめっちゃ態度で表しちゃってると思います。ただベテランから威圧的な態度とられたらたまったもんじゃないですよね。

願わくば全国の教育現場の中堅やベテランと言われる方々が後輩を育てようとする気持ちを持ち続けてほしいということです。後輩を育てるよりも、自分の仕事が大切が行き過ぎると本当に若い先生方は育たないと思うんです。