自分が幸せじゃないのに他人の幸せを求めるのは間違っている
時々夢を見ます。
夢を見て起きた後、少しの間だけ夢の内容を覚えていることがあります。多分起きて10秒間ぐらいですかね。僕はその内容を忘れたくないのですぐに携帯にメモする習慣があります。なんとも不思議な習慣なんですが。それを後で振り返って見てみると夢の内容を思い出すことができ、夢の世界をもう一度味わっています。
母さんがまだ生きていた夢
夢の話なんですが、先日、自分の母親がまだ夢の中で生きててくれていたという夢を見ました。実際、僕の母は10年以上前に病気で亡くなっています。亡くなった事実に対してはもう受け入れていてどんどん記憶が薄れているのが現状ですが、その 夢の間、なんて嬉しいんだろう、 母親はずっと長生きしてくれていました。 様々会話したいことをして、その優しい声や雰囲気、愛情をたっぷりと感じていました。
ただ残酷なことに現実は違います。起きたら目が覚めて記憶が全てリフレッシュされます。自分の母親はもういないんだという事実をシクシクと受け止めます。僕は思うんです。親を早くに亡くすのはどう考えても不幸です。どんな理由があってもです。 長生きしてくれることにこしたことはないですよ。
自分が幸せじゃないと他人も幸せじゃない
自分が幸せじゃない中で他人の幸福を望むことはどうなんでしょう。自分が精神的に体力的に消耗している中で、困っている人のために動きまわったりするのはどうなんでしょう。教師の立場から考えても疲れますよね。いつか精神的にも肉体的にも限界をむかえてしまいます。自分は貧乏である、食べるものもあまり無い。そんな中で人のために行動する。それは本当に仏のような存在です。きっと歴史上に名を残せる存在でしょう。だけど僕が思うのはそれは理想の中に生きているのであって、現実を見てない気がします。他人の幸福が自分の幸福と思ってる人は危ないです。絶対に悪い奴に食い物にされます。そんないい人は騙されてしまうんです。そんないい人に「他人のために行動しよう。」と言う人の意見は取り入れる必要はないと思っています。そんなことを主張してる人に限って、基本自分の幸せのことしか考えてない卑怯な人だからです。そして何かしら人を利用しようとしか考えてないと思います。
まずは自分の人生を生きる
僕はお母さんにもっと自由気ままに生きて欲しかったと今でも思っております。僕はありがたいことにアメリカ留学をするなど海外によく行くことが出来てます。(ほぼ毎年) ただお母さんは病気のために行くことが出来なかったんです。生前何度も行ってみたいと言っていたのにも関わらずです。お母さんはただ他人の人生のために生きていた気がします。そして人のために動こうという信念のもと自己犠牲の道を走っていました。もっと自分の人生を生きて欲しかったです。自由に海外旅行行ったり、美味しいものを食べたり、嫌なことは嫌だと言って自己主張をして欲しかったです。自分の人生なんてあっという間です。冒頭で書いた夢のようにあっという間だと思います。やりたいことをやるべきなんです。自分の人生を生きて、自分が輝いて周りを照らすぐらいがいいんだと思います。「あなた楽しそうにやってるね、幸せそうだね。」と言われたら勝ちだと思います。
自分の人生は有限ということを自覚すべき
自分の人生は有限です。いつ病気になったり、震災で命を落とすかわかりません。素直にやりたいことをやるべきなんだと思います。僕が教師という社会的に見て大変そうに思われる仕事を選んだのは、「この仕事だったらいつ死んでも悔いはないな。」と思えたからです。子供の記憶に何かしら残ってもらえる存在になれたら本望だと思っています。やりたいことを見つけることは、周りに流されなくなる唯一の手段です。この有限な人生においてやりたいことをやって過ごしていきましょう。