教師は一種のアーティストである【教育】

f:id:koji-blog:20171007191216j:plain

運動会が無事終わりました。今回は運動会の表現を担当させて頂きました。「南中ソーラン」を子供たちと一緒に踊ったのですが、その姿に感動し涙が出そうになりました。正直本場まで間に合わないと思ってましたが、子供たちは本当によく頑張りました。本場の一生懸命な踊りと真剣な表情はとても素晴らしいものでした。力を合わせて何かに向かって挑戦する姿を見させてもらえるこの仕事は本当に魅力的だと思うんです。そういう機会に恵まれている、成長する姿を目の当たり出来るこの職種を僕は凄く気に入っています。

今年はあと学芸会(モモをやる予定)と小教研社会部の研究授業と校内の研究授業をやらせてもらう予定です。学芸会の時間泥棒の話のモモの内容も好きですし、来週ある社会部の食料生産の授業も楽しみな内容です。様々挑戦させてもらえる環境に感謝して日々頑張って行くつもりです。


対教師暴力で逮捕される生徒
福岡市東区私立博多高校で、男子生徒が授業中に常勤の男性講師(23)を蹴るなど暴行する様子が写った動画が拡散された騒動があったそうですね。運動会の当日に実はこのニュースを見てしまいまして、若干ブルーになってしまいました。思ったことは二つありまして、やはり教える立場の人間は舐められたら終わりだということです。いくら正しいこと言っていても正しくなくなります。だから23歳のこの講師も来年同じ轍を踏まないように自己研鑽に励むべきです。大学出たてだからわからないことだらけだと思うし、生徒との関わり方、授業のやり方が不味かったのではと勝手に思ってます。

優しいと舐められる、だったら怖くあればいいのか
よく教員の中で、優しいと子供に舐められるからダメだ、常に怖い存在でいようと考えている先生がいます。これは安易な考えだなあって思っています。よく女性の先生が多いんですが、怖くないと指導が通らないって考えてる人が多いです。確かにそうであることが多いんですが、はっきり言ってずっと怖い存在(女王の教室の先生のような)だと子供は担任に心を開かないですし、子供は力を発揮しないと考えます。明るくのびのびと安心した状態である時のみ、子供は自発的に自分で考えて行動をすることが出来ると思います。なので子供たちの状況に合わせて、怖い面や厳しい面、優しい面を見せて行く必要があると考えます。

教師は厳しい面、優しい面、怖い面を使い分けていく必要がある
ではどのように見せて行くかというと、最初は肝心なので厳しい面から見せていく→優しい面→時々怖い面を見せていくという流れがいいと思います。例えば最初の段階で、厳しく宿題とか見ていくよ、これは許さないよというのを見せ、出来ているところをたくさん褒めて認めてあげ、時々怖いぐらい叱るというような流れを僕はいつもやります。怖い面を後にしたのはいきなり見せると子供と人間関係を作る上で取り返しのつかないことになるからです。見せるとしてもある程度人間関係が作られてからの方がいいでしょうね。これらの面を子供の実態に合わせて使いこなすことで子供に舐められないようにするのが肝要です。ちなみにこれらの面を上手に使いこなせない、または子供に合わせて使いこなすのを誤った教師は学級崩壊を起こします。

団結した学級と崩壊した学級
この前クラスで「ふわっと言葉」と「ちくっと言葉」を扱ったソーシャルスキル関係の授業をしました。ふわっと言葉とは言われて嬉しい言葉、ちくっと言葉とは言われて傷つく言葉です。「どんまい、ありがとう、次頑張ろう」などのふわっと言葉が溢れるクラスは居心地の良いクラスです。「死ね、消えろ、バカ」などのちくっと言葉が見られるクラスは居心地の悪いクラスです。やはりふわっと言葉が溢れるクラスを目指そうと確認をしましたが、言葉を選ぶのはやはり子供です。教師である僕もふわっと言葉を使う、それを使った子供褒めていくのはもちろんですが、それでも団結した学級にするにはまだまだせねばならないことがたくさんあると思います。授業力をあげる、一人一人の人間関係を良くする、支援を要する子供への配慮など。それゆえ良いクラスを作るのは教師が出来る一種の芸術だと思うんです。子供の質が年々変わり、保護者の質も年々変わり、教育に求められることも年々変わり、そんな中でも良いクラス作りに励む教師は一種の芸術家(アーティスト)であるし、中々タフな存在であると言えるでしょう。