何故教員になろうと思ったか

何故教員を志したか

力一杯やり通すことが出来る児童を育てたいと思ったからです。率直に。
力一杯って?
文字通り何事にも一生懸命やり通すことが出来ることです。そういう子どもはどんな問題に当たっても力一杯自分で考えて行動出来ると思うからです。そういう成功体験をもつ子どもは強いと強く生きていけると思います。実際そういう姿の子どもを見た時凄い!と思いました。

どういう状態の時子どもは力一杯やり通せるんでしょう。それは明るくのびのびしている状態の子どものことを指すと思います。のびのびとしている子どもたちは安定感があり力を発揮します。

 

明るくのびのびとした状態とは
では明るくのびのびとした状態というのはどういう風に作られるんでしょうかね。僕は主に4つあると思うんです。
1・それはまず教師が明るくのびのびとすることです。そして笑顔で毎日子どもたちと楽しむこと!
2・教師がこれでもかというぐらいに褒めていくことです。子どもからしたら先生が褒めてくれたらすっごい嬉しいですね。
3・授業で子どもの良さや可能性を引き出していくことです。よく教材研究をしていくことですね。
4・遊びを積極的に取り入れていくことです。子どもは基本ゲームや遊びが大好きですね。


またのびのびとしている子どもは束縛されず自由に考えることが出来ると思います。自由というのは凄い大切なキーワードだと思いまして、これまでの固定概念を打ち破って、難問を他人と強調しながら豊かに解決していけると信じています。

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しかし現状として
教職の身に置くことで家庭の教育力の低下であったりなんやりで、子どもが我慢強くない傾向が見られます。何なんでしょうね。口を開けば「めんどくさい、やだ。」とか。イラっとしますよ。人間ですもん笑。
しかし、学校の中には家で満たされてない子どもに対して、さらに追い討ちをかけるように恐怖政治を行なったり、自尊感情を傷つけるような指導をする教師がいます。そういう先生たちによっては私たちは正しいことをしている!って強く思っちゃってるんですよね。単なる自己満足だと思いますし、子どもは好きな先生の言葉しか受け入れられないと思うんです。


正直な教員を志した理由として
まあ色々語りましたが。。(若干愚痴っぽかったですが)
ぶっちゃけ僕は1つの会社に勤め自分の一生を企業の利益のために使いたくないと思ったんです。(素直な気持ち)
会社のために働き続けると、死ぬ間際後悔すると思いました。それよりは将来の日本を背負っていく子どもたちにいい大人の模範として関わり良い影響を与え、時々思い出してもらえるような先生になって死んでいけたらいいなって思ってます。

 

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