お金が手に入らなくてもやりたい仕事【雑記】

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嫁さんと世界にイッテQのテレビを見ていた時でした。急に嫁さんが冗談で将来どこで「カフェ開く?」と言ってきました。「海外かな?それとも国内の田舎なところがいいかな?」とまるで独り言のようにぶつぶつ言っていたのです。

 

それを聞いた時、ボクはかなりテンションが高くなりました。そう、ボクの中では日本ではすでにブームは過ぎさったと思われるカフェのお店の経営であるにもかかわらずです。日本中至るところにカフェがありますよね。(近所に不動産屋とカフェがくっついたところがあって、コーヒーなんか気軽に飲めないじゃんと突っ込みを入れたくなるようなところさえあるくらいです。) 

 

なぜカフェというキーワードにこうも簡単に自分にテンションが上がってしまったのか、考えてみたい。

①現状の仕事そして職場環境に不満をもっている。

②カフェをなんだかんだやってみたい

③とりあえず新しいことだからテンションあがった

まあ、②はないですね。理由としてボクがすぐ飽きると思うからです。コーヒーを飲む側の客でありたいです。おしゃれな空間やコーヒーをインスタにあげる側でいたいのです。(インスタやったことありません。)

①と③が濃厚です。①は今の仕事に対して満足にこなすことができないスペックが低い人間と認めているようですがしょうがないです。仕事に対してモチベーションがかなり低いのでしょう。

 

kojilog.hatenadiary.jp

 

 

③は自分の気質ですね。経験してないことだったらなんでもやってみたいという欲求です。

 

ところで「本当にやりたい職業というのはお金が手に入らなくてもやりたいもの」いうご金言があるのを皆さんご存知でしょうか。そんな素晴らしい職業ってこの世に存在するんでしょうか。現実は食わなきゃいきていけないですし、家賃や税金も収めなきゃいけないですよ。ボクはそんなお金が手に入らなくてもやりたいなって一時的でも経験したことあるかなって振り返ってみました。

 

すると

 

 

なんと

 

 

 

ありました!

 

ボクにはお金もらわなくてもやっていたいと思えるような経験があったのです。

 

それは学童クラブの指導員という立場でした。ボクにとってその指導員として働かせてもらうのはとても幸せなことでした。時は大学を卒業して留学行く前にお金を稼ごうとしていた時でした。勤務時間は子供が放課後学校から帰ってくる時間から親に迎えに来てもらう時間でした。なので、12時から19時でした。やることは子供が放課後安全に過ごせているか見守るという名の一緒に遊ぶことでした。あとおやつを与えること。小学校1年から3年生の小さい子供達が無邪気にはしゃぎ、それをただ見守るという仕事内容は今の仕事と比べるとやることはかなり少ないし、責任も大きくないですが、とても心が穏やかになりずっとそこに居たいと思えるような内容でした。子供の無邪気な笑顔や学校では見せないような顔、遊具で遊ぶ姿。子供は遊んで成長するんだなあってしみじみ感じました。もちろん指導員どうしのいざこざはありましたがそんなのはまるで気にならないほどボクにとっては居心地の良いものでした。勤務じゃない時もボランティアとして参加したこともありました。指導員を辞めた後も未練たらしく何回も学童に通いました。

(一つの難点である時給1000円という低さが難点でした。)

 

ボクはちょっと思ったのです。今の担任のように1人で集団を引っ張るというよりも、個々の子供を見ていくというスタイルも自分にはあっているのではないかと。指導員の時は1人だけで子供を見るのではなく、サポート的な立場で個々の子供を見ていました。小学校で働くのは担任だけじゃなく、専科教員であったり、支援教室の先生のようにサポート的な立場で子供を見守るという形態もあります。そういう選択もあるということです。ボク的にはいつか指導員に近い形態で同じくらいの給料をもらえたら万歳です。

 

いつか教員をやめて夫婦でカフェを開くのもありだし、担任じゃない立場で子供をみて満足したらそれを続けるのもありですよね。完全現実逃避な内容になりましたが、色々気づけて良かったです。

それでは皆さん御機嫌よう。