【何気ない日常】いつからだろう、空を眺めなくなったのは
どうも、3連休が終わりますね。皆さんどんなお気持ちでお過ごしでしょうか。気持ちはブルー過ぎて仕方がないこうじです。
ピョンチャンオリンピックが行われている中、東京は今日もいい天気でした。住んでいる賃貸のベランダからとてもきれいな青空が見えたんです。ちょうどそのときボクはコーヒーを飲んでいました。あまりにも窓から見える空が明るかったので、ベランダに出て空を眺めました。
空を眺め、大きく息を吸い、雲の形を一つ一つ眺めていました。
ああ、雲って大きいな、空って本当に広がっているな。
いったいどれくらいの時がたったのだろ。嫁さんに、いつまでそこにいるのと声をかけられ不思議がられるまで気付きませんでした。
ぼくはいつから空を眺めることをしなくなったのだろうとふと思った。
小さい頃からずっと僕たちの真上に存在している空。時として曇りとなり、雨がふり、雪がふったりするのだけれど。
小さい頃はもっと空をじっくりと眺めていたと思うんです。小学生の時、ぼくは秘密基地という名の岩場で友達と夕焼けの空をよく眺め、あそこに宇宙人がいるなんて話をよくしていました。あの時の赤く染まった空はとてもきれいで今でも脳裏をかすめます。
空はいつだって、上に存在しています。いつもです。いつしか勉強や就職など、時がたつにつれて、ボクはそれぞれの時期に楽しいこと、悲しいこと、うれしいこと、辛いことを経験していきました。そんな中、まぎれもない地球の大きな一部といってもよいこの空の存在は僕の中でどうでもいい存在となってしまいました。5秒みたらどうせ飽きるだろうっという認識でしかなかったのです。
しかし、空から見た、ベランダに立っているボクはとてもちっぽけな存在だろう。このちっぽけな存在は今という時間を生きている。確かに空を見ている。そして、息をすっている。このちっぽけな存在は当時赤い夕焼けを見て感動したという同じ存在であり、それは当時から今に至るまでその心臓が確かにちゃんと動いてきたという証拠にほかならない。
いったいこれから先どれぐらい今日のように空を眺めることが出来るだろう。空を眺めるたびにどんな思いをその時にもっているのだろう。空から見たら自分の存在なんて本当にちっぽけなんだ。人々が山や海が好きなのは、空と同じでとてつもなく大きな存在を前に自分がいかに小さい存在かというのを認識するのが好きなのではないだろうか。
そんなことをベランダで考えたのでした。
おしまい。