【教育】僕が考える理想の教師像とは

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皆さんには理想ってありますか?自分の理想について書きます。仕事の理想像についてです。朝早くからへんなテンションのこーじです。

東京都が求める教師像というのがあるんです。

 

熱意や使命感、豊かな人間性や思いやり、子どもの良さや可能性を引き出す、組織人としての一員

 

です。教員を目指している時は、この教師像についてずっとスターバックスで考えていたのを思い出します。自分はこの教師像に少しでも近づいていけるだろうかって。

 

改めて考えてみると、熱意や使命感をもち、豊かな人間性や思いやりがあり、子どもの良さや可能性を引き出し、組織人として活躍することが出来るスーパーマンって果たしているのかなって考えました。この教師像の教師って具体的にどういう存在なんだろうって。いやいや普通にいないだろうって笑。たしかに強いイメージをもっていれば実現出来るでしょう。

気をつけてほしいのは、この教師像って真面目に全部叶えようとすると、毎日残業まっしぐらです。そんなの僕は求めません。家庭も自分の時間もとても大事なんです。それらを顧みず仕事なんてしませんよ。


まあそれでも理想を考えさせてください。

熟慮の末に、僕にとって、この教師像に近い教師というのは、子どもと一緒に楽しめる教師なんじゃないかと結論づけました。そう、子どものことが好きで、どんなことも子どもと一緒に楽しもうとする教師のことを指します。授業も遊びも全て一緒に楽しめる教師のことです。

 

ちょっと待って、こーじさん何を言ってんのっていう意見もあるかもしれません。わかります。ただ聞いてください。

 

僕が思うにですよ、子どもと一緒に楽しめるという要素は、少なくとも子どもに対する思いやりがあるんですよ。その思いやりの中で子どもはその良さや可能性は引き出していくんです。だから結果的に子どもと一緒に楽しんでいる教師はいつもニコニコと笑顔でいる印象が強い存在だと言えるでしょう。

 

本質的には真面目に教師という仕事やろうとするよりは、子ども一緒にふざけようと考えている人のほうが、子どもの良さや可能性を引き出せるんじゃないかなって勝手に思ってます。異議と反論は勿論認めますが(笑)

 

僕も過去に「なめられたら終わり」という内容のブログを書いたことがあります。指導者である以上、生徒になめられたら教師として致命的だと綴りました。これも勿論大事です。「なめられちゃいけない」という精神的心構えは教師としてあって当然です。むしろないとやばいです。時として生徒との距離感をはかることはとても大事だし本能的にやるべきです。

 

ただずっとそれだと、疲れるし肩こりませんか?笑  やりすぎると管理主義か一切子供と距離を縮めることのない状態になります。まるでドラマの「女王の教室」の女王のように。

ふざけるぐらい子どもと楽しんでいる場面もあったほうが、教師も子どもも気持ちが楽ですし、結果的にクラスもいい雰囲気になるはずです。肩もこりずにすむかもしれないですしね。

 

結局何が言いたいのかというと、ふざけられる時は一緒にふざけて子どもに笑顔を見せて一緒に楽しみましょうってことです。