【雑記】やって当たり前の圧力は生きにくさを生み出している

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生きにくい世の中だなあと感じている昨今です。僕の中での生きにくさの正体は、仕事であれ、勉強であれ何事もやって当たり前だって思われている圧力のことです。これが諸悪の根源です。(確かにそれを当然のようにやってきたからこそ今の日本の経済があるとは思うんですが。)

「昔はこれが当たり前だった、やって当然でしょ。」っていう題目がどれだけの人を苦しめてきたでしょう。

人によっては、得意不得意分野があるはずです。もしかしたら毎朝規則正しく起きて仕事場に向かうことが出来ない人もいるかもしれないんです。また大勢の前で話をすることが大の苦手で息が詰まってしまう人もいるかもしれないんです。つまらない話をいちいち相槌をうつこともできずつい正直に本音を言ってしまう人もいるかもしれません。一つのことに集中出来ず、他に気がいってしまう人だっています。

やってもらって当然は良くない
上記のことから、僕は子供にしても職員にしてもやってもらって当然というのは良くない考え方だと感じるわけです。逆に何かやったら「お疲れ様、良かったよ。頑張ったね。」と言ってあげられる人が近くにいるだけでどれだけ人は希望をもって毎日生きていけるだろう。大事なのは、一人一人得意不得意があるということであって全員が同じように出来るのは難しいことだということを理解することでしょう。ただ「お疲れ様。」という魔法の声かけで暖かい雰囲気を作ることが大事だと思うんです。何かをやっても「そんなの当然でしょ?」って思われ、労いの言葉をかけられることもなかったらどれだけ悲しいしやる気なんか出ないよなって思うんです。

結局、承認欲求満たしてあげることが大事な話でしょ?言われたらそれまでのことなんですが。
大抵の人は承認欲求には勝てないです。そう、人はどこかに属したいし、そこで認められたいんです。

学校現場は承認欲求が満たされにくい
あまりいい話をしませんが、
学校現場は承認欲求が満たされにくいところです。
授業をわかりやすくやって当然でしょう。
クラスにいじめがなくて当然でしょう。
クラスに不登校がなくて当然でしょう。
運動会や学芸会、見栄えがあって当然でしょう。
残業して当然でしょう。
保護者からの訴えを全て聞き入れるのは当然でしょう。
大量事務作業やって当然でしょう
とやって当然でしょうリストが続きます。いやいやそんなの当然なわけがない。むしろ完璧にこなすのが困難でしょうというのが僕の意見です。

さあ、「お疲れ様、すごいね、頑張ったね。」ぐらい言えるようにしていこう。少しでも自分の周りの人たちの気が良くなればいいな。