自由な人というのは反逆精神的思考を続ける人のこと【雑記】


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早いもので人生早30年過ぎてしまいました。ここまであっという間だなと感じてます。今振り返ると、同世代が就職し始めた時に、自分は留学に向けて英語を勉強していました。2年アメリカで勉強をした後、遅ばせながら教師を目指すなどなんとも遠回りな人生を歩んできたなって感じております。この時に、人生で海外で長期間住まないなんてなんて勿体無いと反抗していたんですよね。新卒すぐ就職というレールがなんか嫌だったんです。その結果仕事につくのがもくれたとしても、やりたいことをやったので何一つ後悔をしていることはありません。いまもその時と同じようにどう人生を楽しもう、自由に生きようとすることにしか焦点を当てていません。

自由とは時として難しい言葉だなと思うんです。自由とは何かから制限がかかっていない精神状態のことを言うとおもうんです。この制限がかからないためには、とてつもなく広い視野で物事を見るということだと言うことです。例えば、地球レベルで見た場合、この事象は大したことではない、みたいにです。ただ世の中、両親であったり、友人であったり、テレビの宣伝であったり等自分の考えに少なからず影響を受けています。そう、他の影響(洗脳)を受けざるを得ない環境にいるんだと思うんです。そんな中でも、真に自由な人っていうのはとてつもなく広い視野で物事を見て常に思索を続けている人のことなんだと思うんです。おそらくその根底にはあらゆることに対する反逆の精神が横たわっているのではないでしょうか。何故世の中こうなっているの、なんでこんなシステムになっているの?おかしいでしょ?とか。そういう反逆、反抗の精神が漲っている時において人は自由な状態になりえるんだと僕は思っています。

僕はそういう意味でいうと全然自由な人ではないです。普通に仕事をしているし、社会のルールのっとって常識の範囲内で行動をしています。相手のことを考え、行動をするように心がけています。自由な人はある意味羨ましいけど、その代償も少なからず大きいこともみなさん承知の通りです。本当に自由に過ごしていて、例えば働きたくないというスタンスを貫き通した場合、結婚はおろか子供をもつことは難しいんです。僕はそういう意味では社会のルールにのとった安全な選択をしていると言っても過言ではないです。だって普通に結婚してみたいし、子供ほしいですし。はたからみたらなんて普通で面白くないんだろうと思うんです。そう、普通過ぎてオリジナリティがないんだよなあと考えてしまうんです。まあ、普通で楽しく幸せに過ごせればそれで充分なんですけどね。幸せであれば特にオリジナリティがなくても全然いいんです。