AI(人口知能)について思うこと

未来を予測することは馬鹿らしいと言った著名人がいました。理由はそれは当てにならないからだとおっしゃっていました。確かに「ドラえもん」のような未来の世界にいまだに追いついていないですし、「バックツウザヒューチャー」みたいな近未来の世界にもいまだに追いついていません。どこでもドアや空を飛ぶ車の出現はもう少し先のようです。少し残念なことですが。「200X年宇宙の旅」の映画のHALのような人工知能(Siri)が世に出現しかけているのは驚きのことだとは思います。昨今、「2040年」や「シンギュラリティ(人工知能が人間の知能を超える)」のことなど巷ではホットな話題です。確かに未来を予想するのは一部の人からしたら馬鹿らしいことかもしれないし、時代の傍観者な感じがします。(そんな時間があるんだったら自分のやりたいことをやるべきかも。)

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AIが至る所で活躍する時
少し未来を予想した時、家中にSiriみたいな音声認識する機械が導入され家族の人の声を認識し、洗濯や料理を自動でやってくれたり、電気をつけるのも、窓を開けるのも代わりにやってくれるかもしれません。車も音声認識で勝手に行きたいところに連れて行ってくれそうですね。(しかも絶対に事故をしないで。)料理も機械が勝手にやってくれるかもしれません。ボタン一つでチャーハンの出来上がり!みたいに。(テーブルの中央からバーンと出てくる。もちろん皿洗いもそのままやってくれる。) 仕事では機械がどんどん人間の代わりに仕事を行っていくでしょう。人間はただ時折メンテナンスをするだけ。もしかしたら週5日働いているのが、週4、3と減って行き人々が楽に暮らしていきそうです。その結果ブラック企業とか過労死という言葉はなくなっていくんじゃないかな。(公立学校で働いている教師とかは除いて)

機械の時代が到来しても人間が出来ること
では機械の時代が到来しても人間の力が必要なものはなんでしょうか。僕は気になるんですよね。また人間が単純に残せるものってなんでしょう。単純な計算力などは到底機械には敵いませんよね。将棋やオセロなどの単純なゲームも人間が機械に勝つことは困難になってきています。今現時点で思いつくのは人間らしい倫理観に基づいた判断力と創造力(クリエイティブ)であると感じます。勿論他にもあるっていうのはわかっていますが。

  創造力で言うと例えば、音楽関係、創作関係(ものづくりからプログラミングに至るまで幅広いもの)、文章関係(本とか思想など)などが挙げられるんじゃないかなーって考えます。これらはいかに機械が発達してもそのままなんらかの形で残ってるんじゃないかなって感じます。なぜなら人間の脳で考えたピュアな産物だからです。この歌詞はあの人の人生を綴ったものだ!みたいに機械が作り出せない人間的なものです。
  人間らしい判断力というのはつまり人間が機械を支配する立場で機械を正しく操作をする力とも言えます。いかに便利な機械であってもどう使うかは人間次第だよってことです。もしこの判断するプロセスを機械に任せてしまうような流れになってしまったらゆくゆくは映画のマトリックスのように、機械が人間を赤ん坊の時から操作するという世界になってしまうかもしれません。(機械は人間の体からエネルギーを得ると設定されています。なんとも恐ろしいですね。)
ま、そこまではいかないとは思いますが。しかし、ある程度の機械の発展とその先の機械の衰退があるのは予測できます。

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英語力を伸ばすことに価値はあまりないのでは
  いま公立学校では英語教育が進んでいます。東京オリンピックに向けてとても活発になっていくことでしょう。僕は文化やスポーツを通した交流というのはとてもいいことなんじゃないかとは思いますが、子供たちは英語の力をつける必要がなくなっていくんじゃないかと感じています。なぜなら自動翻訳の力がさらに発達していくと思うからです。ちょっとした機械でリアルタイムでコミュニケーションを取れそうですもんね。子供は英語力よりも実践的なことで言えば、プログラミングのスキルを伸ばした方がはるかに有益な感じがします。近年の就職活動の履歴書ではトイック何点、英検何級持っているかなど書く欄がありましたが、無くならないにしてもそこまで重要視されなくなるんじゃないかなと考えます。それよりは情報技術検定何級とかパソコンの言語で何が使えるかといった項目の方がより重要視される気がしてなりません。僕も近々勉強しなきゃなとは思ってはいますが中々行動には移せてはいません。プログラミングのスキルがあれば就職口には困らないとはどこかのCEOが言っていたセリフです。

僕のささやかな希望
僕がこうなればいいなーって思っているのが、子供たちが機械を上手に扱い、現代の世の中が抱える問題を解決することです。例えば、戦争や貧困、経済格差などの様々な問題です。そのためにはより今まで以上に頭を使って行動し、より共感的な態度や思想を育む必要があります。これは公教育をはじめとする教育者たちの使命でしょう。ちなみにフィンランドの教育では「KEVA」と呼ばれる教育プログラミングソフトがあるみたいです。これはいじめをなくすソフトで、子供たちこのソフトを通していじめは良くないということを学ぶことができ、結果的にいじめの件数が減ることに繋がったみたいです。僕はこれは凄いものだと思いました。このような事例からいじめや不登校などの問題はより多角的なアプローチで解決されていくかもしれませんね。「KEVA」を例とした戦争や貧困を無くしていける、人々の道徳心をいい意味で変えていけるプログラミングソフトが次々と現れることを切に望みます。そしていじめや不登校がこの世からなくなるぐらい子供や周りの大人が成長していければ最高ですよね。
 とある学校で「いじめとか過去に起きてたんだって。信じられないよね。そんな酷いことが日本の学校で起きてたなんて。」みたいな会話があるといいなって思います。