【雑記】一日を一生ととらえるわけのわからない思考

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身長172センチ、体重57キロの羽入結弦選手とまったく体型が同じのこーじです。今日子供にそれを伝えました。そしたら、子供みんな笑っていいのか、いけないのか苦笑いの表情。おいおい、笑ってほしいのに。「金メダリストとボクとの差は何だ?!」って聞いたら、子供たちは、「年齢です。」と答えてくれました。子供たち、冷静でいてくれてありがとう。

わけのわからない考え方

ボクは、寝る瞬間よく言うんですよね。「ああ、このときのために生きていたんだ。」まだ死なないでしょうが、ってつっこまれるんですが。はたから見たら、完全変人ですよね。うん、ボクもそう思います。

そう、一日を人生で例えると、まさに寝る瞬間は死ぬ瞬間かなと感じるのです。とすると、起きる瞬間というのは、生まれる瞬間のようなものです。朝生まれて、夜死んでいくみたいな、わけのわからないような思考実験に最近はまっているのです。夜気分悪く死んでいったら、朝ももちろん気分が悪く生まれます。まるで、仏教で言う因果みたく、前世の悪い行いは、来世に引き継がれるかのようにです。哲学っぽくなってちょっといやなんですが、宇宙からしてみたら僕たちの一生って一瞬じゃないですか。宇宙レベルでみたら、僕たちの一日(24時間)も一生(80年ぐらい?)も変わらないのかなーって思ってみたりしたんです。一日=一生、だから朝生まれて、夜死んでいくというちょっと変な実験が導き出されたのです。こう考えることで、明日のことはあまり考えなくなるんです。今日、まさに人生は今日だけなんだって思えるのかなあと感じるのです。今日どれだけ自分は活躍したか、どれだけやりたいことができたかって。って結局真面目か!ってつっこみを入れたくなります。

さあ、寝るまで(死ぬまで)あと3時間ぐらいあるぞー。やりたいことをやりきろうかな。